寿司を塩で食うな

非キラキラ大学生2人の楽しい日記

ネアンデルタール人を差別できない

弥太郎です。

ネアンデルタール人を駆逐しようと思ったことはありますか? 僕はないんですけど、高校の先輩はあるみたいです。橋本琴絵って言う方なんですけど。

橋本琴絵(希望の党候補者)「ネアンデルタール人の遺伝子入ってる奴は猿!コミュニケーション能力低い!」と人種差別 - Togetter

これ、すごいですよね。もしかしたら何らかの乗っ取り…?と思ったりもするけどそれなら乗っ取った人の発想力がすごい。この「すごい」という形容詞、実は褒め言葉です。

当然、この一連の発言は優生学とか遺伝による差別がベースになっているのでそういう意味では非難されるべきものだし、こんな人友達には絶対したくないけど、この発想は自分の脳のどこを探しても見当たらない。ネット臭く言えば「くそwwwwこの発想はなかったわwwww」である。よく言えば稀有な才能。

梶井基次郎の『桜の樹の下には』を読んだ人は美しい桜を見ると足元を掘り返したくなってしまう、そういう風に他人の頭を一部支配してしまう人は天才だ、と林修が言ってたような気がします(違ったら申し訳ない)が、まさにそれ。これから重大犯罪の犯人を見たとき、ゴミのポイ捨てを見たとき、ファンキー加藤を見たとき、ネアンデルタール人のDNAの街宣車が大声を上げて頭をよぎる。トリモチのようにへばりついたアイデアから1歩踏み出すことすらままならない。

なぜこんなことを言うかというと、狂気に強い憧れを持ってるんですよね。例えば、自分が脚本家で「狂気をテーマにしたフィクションを作ろう!」となると、その狂気は人殺しのサイコパスとしてしか描出できないんですよ。サイコキラーが社会規範からはみ出しているものとして1番アイコニックな存在だから。これは自分に自分なりの狂気が宿ってないことの裏返しでもある。現に自分は常識・良識に富んだ真人間(と強く信じている)。凡夫の想像の範疇を超えた狂気は自分から出てくるはずもない。日頃披露しているこじらせ芸・非リア芸・社会不適合芸(芸と呼ぶに値するかはさておき)は、真人間を絞って絞って抽出されたごま油のようなもの。狂気の油田があれば面白人間になれるのに…と思っている。

そして最悪なことに自分の身近に狂気の油田があるんですよね。れいぽんという方なんですけど。ピザの記事(ピザの生地とかけているわけではない)読みました? ずっとバカ。虚無しかないと分かっているのに突き進むな。とりあえず僕はこれから久しぶりにピザでも頼もうと思います。

 

 

(ビデオカメラをセッティングする) 

 

はふはふ~♡ うわ~チーズがトロトロだ~ >_< 美味し~い!さいこ~♡

 

死ぬか…